学ぶこととか

知的生産のための学習とか、教育とかに関することを書いていきます

認知のフレームを増やす

今後ここで書いていきたい内容として、学びや仕事等についてのTipsというか、経験則を中心に書いていきたいという思いがある。ただし、経験則を羅列するのみではその消化の方法が明確になっていないことになってしまう。

そのため、前段として「認知のフレーム」についての話を書いていくこととする。平たく言うと、世の中で起こる事象を(経験則的にでも科学的にでも)一般化したものについての話である。

 

1.認知のフレームとは

上記でも簡単に触れた通り、「世の中で発生している事象を一般化したもの」を指す言葉として使っている。単純な事実やステレオタイプとも一部被るが、同一ではないため新しい単語として置いている。

 

具体的な例としては、以下のようなものが挙げられる。

・年を取ると、昔のことばかり語るようになる

・病気に罹るのは、ウィルスや細菌に感染するからである

・記憶は記憶する対象のみで記憶されるのではなく、周囲の状況とセットで記憶される

・言葉による理解よりも、絵による理解の方が齟齬が発生しにくい

・色には補色関係が存在するとともに、色自体のイメージが存在する

 

これらのフレームについては、集団経験に基づく諺等の形をとっているものもあれば、科学的な実験により導出されているものも存在する。

(また、今後書いていこうと思う内容としては、このフレームの具体が中心である)

 

2.なぜ増やしていく必要があるのか

「教養を増やせ」やら「勉強をしろ」という言葉は、程度や頻度の違いはあれども人生を通じて聞き続けたものであると思われる。ただし、特にマネジメントや思考法等の抽象度が高いテーマの勉強においてはここの目的がぼんやりとしがちであるため、体験に基づくものではあるがその主な目的を以下に記載していく。

 

①理解が明瞭になる

こと日常におけるコミュニケーションにおいては、内容が咀嚼されずに情報が発信される場合が多数を占めており、そのため内容にノイズの混入や、解像度の低い情報が発信されることが多い。

そのような状況の中で、伝えられたことを落としてこんでいく、もしくは不明点を明確にしていくためには、ある一定の受け皿が必要となり、その役割を果たすのがフレームである。

また、③とも関連するが、ぼんやりとした経験を明確に形式化したものと関連付けることにより、全体観を踏まえた理解が可能となる。

 

 

②正しい可能性が高い打ち手が打てるようになる

自明のことであるので詳細な説明は必要ないであろうが、このようなフレームは経験的ないしは科学的な裏付けによって組成されたものであるため、打ち手としてある程度洗練されたものとなっている場合が多い。

そのため、フレームを増やしていくことは正しい可能性が高い打ち手を取り得ることにつながり得る。 

今回の自分を例にすると、「体系立てて最初から全部を微細にデザインしようとすると、結局アウトプットが進まない」、「細かくても行動に落とし続けることが習慣化には必要」というフレームを基に、「まずはパーツからでも記事書くか」という帰結に落ちた次第である。

 

 

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場所法(記憶と場所をリンクさせる記憶術)を用いた図。記憶が内容だけでなく外部環境等と併せて記憶されることを活かした例

 

③知識の再利用性が向上する

人間の記憶の構造として、認知に係るリソースを最小減とするため、物事を構造的に記憶し、抽象的な上位概念に具体的な下部知識を紐づけていく形式をとっていくとされている(詳細は認知的経済性で検索のこと)。

これが意味するものとして、上位概念と具体的な経験や知識のリンクを強固にしていくことは、記憶した知識や過去の経験をより再利用しやすくなるということであり、それを実現するには、紐づける上位概念の豊富さ(≒引き出しの豊富さ)が担保されていることに越したことはない。

そのため、具体的な知識や経験をアクティブメモリーとして保持しておくためにも、対応するフレームを充実させることは非常に重要である。

 

 

④自身のコントロールが容易になる

人間は先が見えてないことに対してストレスを抱く傾向が強い(※1)(就活やコンペ等でも、落ちたという事実よりは結果待ちである状態や、NNTである(=進路が決まってない)ことに対するストレスが大きいことや、死生観の発達(身体的制約を超えた認知能力の発達)に伴って宗教(認知不可能な領域に対するルール化)が発展してきたこともそれと符合する。)。ただ、仕事や競技等、何か結果を創造しようという取組においては不確実性はついて回るものであり、ある種必然的なお付き合いとなる。

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認知出来ないことを減らそうというのは自然な反応

そのような不確実性をはらむ状態において、見えてない事実に対する「想定される帰結」を補足するのがフレームである。

何か行動を進めていくためのひな型としての機能や、経験をフレームに当てはめて消化することで、自分がこれから経験していくことに対してのシミュレーションが可能となるため、現状を理性的に受容し、「これは変えられる」、「これはしょうがない」等、それに対してのコントロールが容易になる。

 

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レミニセンス・バンプ(人は10代~30代の記憶が自己形成の過程で強い影響を持つことから記憶として残留しやすい例。そのため、老害ガチャに怯えるのではなく、これは必然だから我慢しようという帰結が導ける。それがいいのかは別の話。)

 

3.フレームを増やしていくうえでの注意点

ここまでは認知のフレームの重要性について書いてきたが、フレームを増やすにあたっていくつか注意すべき点も存在するため、それを以降は簡単に記載していく。

 

①フレームは状況とセットである

フレームとして一般化されているものは、その状況も踏まえた一般化であり、状況を無視したユニバーサルなものではないことに注意する必要がある。例えば、上に示した「まずはパーツでも書いていった方がよい」ということは、一つの完結したストーリーが求められる報告書を作成する際には必ずしも当てはまらないし、「糖質を制限することで痩せる」というのも、元々はボディビルでの絞りの文脈から発生したものであり、健康的な生活を送ることとはまた別の話である。

このように、フレームを当てはめて物事を理解する/行動に落としていくためには、自身が置かれている状況や扱う対象と併せて判断する必要があるし、言い換えるとフレームを取り込んでいく際にも状況とセットで実施していく必要がある。

 

②フレームはあくまで過去からの集積である

フレームの特性として、経験的または科学的な取組の集積として一般化されたものである、という風に書いた通り、あくまでフレームとは「過去の取組の集積」である。そのため、フレーム自体の妥当性が否定されるケースも少なからず存在する。

そのため、フレームの適用限界がどこに存在するか、フレームを勉強という形で収集する際には、そのフレームがいつ頃に策定されたものかを合わせて理解しておく必要がある。

 

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地動説も昔は正しい認知のフレームだった

 

③フレームをどのように使うのかを合わせて蓄積する

バールを適切に使うためには、それが釘を抜くためであるという目的を認知して初めて活用可能であるように、思考の道具であるフレームも目的と併せて蓄積して初めて活用可能なものである。そのため、新しくフレームを獲得した際には、「具体的に何に対しての解釈を提供するのか」、「フレームを自身の行動に落とし込む場合、どのように活用していくのか」等、過去の経験や自身が実施している取組等の具体的な例を基にしたロールプレイを合わせて実施することが望ましい。

 

(※1)

「先行き不透明」は「確実な痛み」よりストレスが高い、英研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

生産活動のための頭の使い方と試験のための頭の使い方の違い(概略)

はじめに

現在働いている会社は、世間一般からすると「優秀な」会社ではあるものの、その中でもやはり「イケている(優秀な)」メンバーもいれば、「イケてない(優秀でない)」メンバーも存在している。

ただ、「イケてない」メンバーが勉強をしていなかったり、やる気がないというと全然そんなことはなく、むしろ(殊勝にも)真面目に勉強を欠かさなかったり、フィードバックを真正面から受け取る人が存外多い。

「イケてない」人をそうたらしめる要素は複合的であるものの、往々にして「生産活動のための頭の使い方」と「試験のための頭の使い方」の区別が十分に自覚されていないままでいることが多いため、その違いについて書いていく。

 

本編

1.僕らはそもそもどう頭を使ってきたか

「頭を使う」ということから直感的に想起されるのは、小学校から大学(一部の人は大学院)までの所謂勉強であると思われる。

 

小学校から大学までの過程において、難易度や複雑性の違いこそあれど、本質的には同質の頭の使い方をしており、それは「インプットを実施し、そのインプットの正誤や精緻さを検証するためのアウトプットを実施する」ということである。

小学校における単純な四則演算であれば、加減乗除に対する理解の正しさを検証するためにテストが用意されており、大学入試においては複数の定理や公式の(使いどころを含めた)理解度を検証するために試験が用意されている、という塩梅である。

 

ここで認識しておくべきこととしては、「答えるべき問いはインプットの検証のために用意されたものであり、その問い自体の正当性は前提となっている」ということである。つまりは、構造として問いに対しての応答という受動的な頭の使い方にならざるを得ないのである。

 

社会人になって受ける資格・免許試験の大半においてもこれは同様であり、選択形式であれ、自由記入形式であれ、結局は自身がインプットした理解の正しさを試験に回答するという形でアウトプットしている形式をとっている。

(なお、これは資格や免許というものの性質を鑑みると妥当な形式であると思っている。なぜなら資格は「対象としているものを誤りなく扱えるか」を最低限担保するものであり、そのレベルを超えた巧拙を保証するものではないからである。)

 

まとめると、「頭を使う」活動として実施している(もしくは実施してきた)ものの大半は、自身のインプットに対する検証活動としての性質を大きくもっているものであり、そのため頭の使い方としては受動的なものであるということである。

 

2.生産活動に求められる頭の使い方とは

一方で、生産活動として求められるものは上記とは性質が異なってくるものである。なお、ここでいる生産活動とは仕事に限定されるものではなく、学生であればビジコンや討論等を含むものであるし、そうでなくとも自身の給料の使い方等も含むものである。

 

そもそも仕事等の生産活動は何等かの成果を創出するために実施しているため、生産活動に求められる頭の使い方としては、「いかにして成果を創出するか」ということに終始する。その活動においてインプットは検証される対象ではなく、その成果を創出するための道具でしかないのである。

また、「成果の創出のため、未来に向けて何かをやっていく」という生産活動の特性により、解に対する正当性が前提として担保されていないため、自らが解に対しての妥当性を論理なりプロセスなりで証明していくことも必要となってくる。

言い換えると、答えるべき問いは自らが設定し証明するものであり、頭の使い方としては「何をすべきか」「どう証明すべきか」という能動的なものである。

 

そのため、従前習慣的に実施してきた頭の使い方とは質的に異なるものであり、その延長線上に「生産的に頭を使う」ということは基本的には存在していないものである。

 

なお、生産活動に向けて頭を使うための要素としては、「ゴールの設定、および仮説設定に向けた推測スキル」、「成果を創出するための具体的な専門知識」、「専門知識等を取り扱うための一般化された思考ツール類」、「それらを駆動させるための論理的思考」等に分解されるものの、その詳細は今後書いていくこととし、ここではあくまで頭の使い方の違いに関する概観の説明に留めることとする。

 

(なお、余談ではあるが、「AIが人類を代替するか」という問いに対して否定的な見解が多いのはこれが一つの理由である。AIは存在するインプットを大量に処理する能力には長けているものの、あくまでその予測方法や判断基準(=成果の定義)に対しては人間による検証が必要であるため、汎用AI(General AI/Strong AI)と呼ばれる人間の脳を代替するものの創出は現在では難しいといわれている。)

 

3.なぜ「イケてない」状態が発生するのか

ここで冒頭の「イケてない」メンバーの話に戻ると、彼らが「イケてない」状態に陥っている場合、その多くの場合は「試験のための頭の使い方」で生産活動に従事しているケースが多い、ということである。

 

本来であれば、新規事業創出であれ、現場での改善活動であれ、営業での提案であれ、生産活動に向けて「ここでいう成果とは何か」であったり、「顧客が現在困っていることは何か」であったり、「成果を創出するために何をしなければいけないのか」であったりを考えなければいけない局面において、「問いが正しいものと仮定したうえでの検証作業」により戦おうとしている場合が多い。

具体的なケースとしては、(リーダーや上司から)言われたことの背景やその内容自体への咀嚼、および批判・検証を実施しないことが挙げられる。

 

これは言われたこと自体を否定せよ、というものではなく、自身が担当する作業がどんなに小さなチャンクであれ、仕事等の生産活動のパーツを担うものであり、その作業を実施するうえでは自身として「答えるべき問い」が何なのか、それがなぜ確からしいのか、ということを理解したうえで実施すべきものである、ということである。

それが達成されていない場合、自身が創出するアウトプットに対する確からしさの検証を実施できない状態となってしまい、「これでいい理由は何?」と聞かれた際に沈黙以外の選択肢をとりえないからである(自身もよく経験した)。

 

なお、巷でよく聞く「試験には解があり、ビジネスには解がない」ということに対しては、間違ってはいないとは思うものの、ボトルネックとしては、受動的か能動的かということの方が重要ではあると思っている。なぜならば、ビジネスにおいても「ベストプラクティス」というものは存在しており、それが(自身が向き合っている現状へのフィット感の違いはあるものの)「確からしい答え」として扱いうるものだからである。

ただ、上述した通り、そのベストプラクティスが「今、この状況でとりうるものである」ということは別途証明する必要があるものであり、そういう意味で能動性こそがボトルネックであると考える。

 

対応策

生産活動のための頭の使い方は、受験勉強と同様にテクニックで大分カバーできるものであるため、その使い方や知識の整理の仕方は今後まとめていくこととするが、それ以外の部分では以下のことが対応策としては挙げられる。

 

A.自身が行っている作業が「正しさを前提とした作業(受動的)」か、「正しさが担保されていない作業か(能動的)」を識別する

当たり前、という風に思うかとは思うが、存外区別のついてないケースも多い。なぜならば、実際の生産活動においては意思決定者や他者が存在しており、自身の作業における前提(とされている)事項が多分に存在するからである。具体的には以下のようなケースが挙げられる:

  • 自身がプロジェクトのメンバーであり、方針出しや決定はプロジェクトリーダーが実施する
  • 自身は営業担当として顧客とのコミュニケーションを実施し、最終的な決済は上長が実施する
  • 設計工程で仕様が策定されており、自身はその設計内容を踏まえて開発を実施する立場である
  • 「エース級」と呼ばれる人が先陣を切っており、自身はその横ないしは後ろを伴走する状態である

あくまで経験則ではあるが、このような場合では、自身を「作業者」である、と無意識においてしまい、実施している作業自体の妥当性の検証を往々にしておろそかにしがちである。認識することが打ち手をとることの第一歩であるため、認識すること自体の意義は大きいと思われる。

 

B.インプットを実施する際の目的を明確化する

受動的な頭の使い方の場合、インプットの量と質が効用を大きくすることもあり、インプットに解を求めるケースが一定見受けられる(フィードバックを受けた際、あれもやろう、これもやろう、となってしまうことも同様の事象である)。

ただし、上述の通り、生産活動におけるインプットとは成果創出のための道具であり、その目的に対応しない限りはあまり意味のないものとなってしまう。

そのため、生産活動の質を向上させるためにインプットを志向する場合、その目的を明確にしたうえで実施要否の判断、および実際のインプット活動を実施した方がよい。具体的には以下の観点が例として挙げられる。

  • インプットを実施しなければならない目的は何か
  • (あるものに関する)インプットを実施した結果、何が得られるか
  • そのインプットが今必要な理由は何か

まとめ

  • 頭の使い方には受動的なものと能動的なものの2種類が存在し、それぞれが必要である局面は異なる
  • 仕事等の生産活動においては、能動的な使い方が求められるものの、頭を使う活動としての導入が受動的なものであるため、その方法に終始してしまうと「イケてない」状態となってしまう
  • そのため、まずは能動的な使い方か受動的な使い方のどちらを求められているかを明確にしたうえで、能動的な使い方が求められている場合、インプットにおける目的を明確化したうえで臨むことが望ましい

はじめに

このブログとその目的について、簡単に説明します。

 

このブログについて

コンサルを中心に社会人をやっていく中での学習や育成に関することを書いていくブログです。

 

何を書くか

自身のコンサルやIT領域の仕事経験や、今まで体得した知識等をインプットとして、専門性を身に着けていくための知識の習得方法や、メンター/責任者として後輩や部下を指導していくための方法論、およびその土台となる思考法や知識体系、構造について投稿していきます。

また、それに一部関連するような、一見すると関係ないことも雑感として書いていくかもしれません。

 

なぜ書くか

社会人として働いていく中で、社内外を問わず勉強の仕方や上司・部下としての動き方に関する相談を受けていくにつれ、自分が忘れないため、またそれに伴い知識をパッケージ化しておきたいと思い、半ば備忘録としてまとめておこうと思ったことが理由です。もう少し具体化すると、以下の3つになります。

  1. 自身の暗黙知の形式化
  2. 学びや育成に関する体系的なまとめの少なさの解消
  3. 興味・必要性を持つ人への展開

どう書くか

今後精緻化はしていくものの、基本的には以下の構成で書いていくことを想定してます。

  • 導入(書いていく内容の概要)
  • 本編(上記の具体的な説明)
  • 対応法(実際に行動に落としていくためのアクション案)

 

一番最初にも書いた通り、あくまで自身の考えの整理が主なので、上記のすべてを包含しないこともあったりするかもしれないですが、原則として目指していくという方向性でゆるく書いていきます。