学ぶこととか

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生産活動のための頭の使い方と試験のための頭の使い方の違い(概略)

はじめに

現在働いている会社は、世間一般からすると「優秀な」会社ではあるものの、その中でもやはり「イケている(優秀な)」メンバーもいれば、「イケてない(優秀でない)」メンバーも存在している。

ただ、「イケてない」メンバーが勉強をしていなかったり、やる気がないというと全然そんなことはなく、むしろ(殊勝にも)真面目に勉強を欠かさなかったり、フィードバックを真正面から受け取る人が存外多い。

「イケてない」人をそうたらしめる要素は複合的であるものの、往々にして「生産活動のための頭の使い方」と「試験のための頭の使い方」の区別が十分に自覚されていないままでいることが多いため、その違いについて書いていく。

 

本編

1.僕らはそもそもどう頭を使ってきたか

「頭を使う」ということから直感的に想起されるのは、小学校から大学(一部の人は大学院)までの所謂勉強であると思われる。

 

小学校から大学までの過程において、難易度や複雑性の違いこそあれど、本質的には同質の頭の使い方をしており、それは「インプットを実施し、そのインプットの正誤や精緻さを検証するためのアウトプットを実施する」ということである。

小学校における単純な四則演算であれば、加減乗除に対する理解の正しさを検証するためにテストが用意されており、大学入試においては複数の定理や公式の(使いどころを含めた)理解度を検証するために試験が用意されている、という塩梅である。

 

ここで認識しておくべきこととしては、「答えるべき問いはインプットの検証のために用意されたものであり、その問い自体の正当性は前提となっている」ということである。つまりは、構造として問いに対しての応答という受動的な頭の使い方にならざるを得ないのである。

 

社会人になって受ける資格・免許試験の大半においてもこれは同様であり、選択形式であれ、自由記入形式であれ、結局は自身がインプットした理解の正しさを試験に回答するという形でアウトプットしている形式をとっている。

(なお、これは資格や免許というものの性質を鑑みると妥当な形式であると思っている。なぜなら資格は「対象としているものを誤りなく扱えるか」を最低限担保するものであり、そのレベルを超えた巧拙を保証するものではないからである。)

 

まとめると、「頭を使う」活動として実施している(もしくは実施してきた)ものの大半は、自身のインプットに対する検証活動としての性質を大きくもっているものであり、そのため頭の使い方としては受動的なものであるということである。

 

2.生産活動に求められる頭の使い方とは

一方で、生産活動として求められるものは上記とは性質が異なってくるものである。なお、ここでいる生産活動とは仕事に限定されるものではなく、学生であればビジコンや討論等を含むものであるし、そうでなくとも自身の給料の使い方等も含むものである。

 

そもそも仕事等の生産活動は何等かの成果を創出するために実施しているため、生産活動に求められる頭の使い方としては、「いかにして成果を創出するか」ということに終始する。その活動においてインプットは検証される対象ではなく、その成果を創出するための道具でしかないのである。

また、「成果の創出のため、未来に向けて何かをやっていく」という生産活動の特性により、解に対する正当性が前提として担保されていないため、自らが解に対しての妥当性を論理なりプロセスなりで証明していくことも必要となってくる。

言い換えると、答えるべき問いは自らが設定し証明するものであり、頭の使い方としては「何をすべきか」「どう証明すべきか」という能動的なものである。

 

そのため、従前習慣的に実施してきた頭の使い方とは質的に異なるものであり、その延長線上に「生産的に頭を使う」ということは基本的には存在していないものである。

 

なお、生産活動に向けて頭を使うための要素としては、「ゴールの設定、および仮説設定に向けた推測スキル」、「成果を創出するための具体的な専門知識」、「専門知識等を取り扱うための一般化された思考ツール類」、「それらを駆動させるための論理的思考」等に分解されるものの、その詳細は今後書いていくこととし、ここではあくまで頭の使い方の違いに関する概観の説明に留めることとする。

 

(なお、余談ではあるが、「AIが人類を代替するか」という問いに対して否定的な見解が多いのはこれが一つの理由である。AIは存在するインプットを大量に処理する能力には長けているものの、あくまでその予測方法や判断基準(=成果の定義)に対しては人間による検証が必要であるため、汎用AI(General AI/Strong AI)と呼ばれる人間の脳を代替するものの創出は現在では難しいといわれている。)

 

3.なぜ「イケてない」状態が発生するのか

ここで冒頭の「イケてない」メンバーの話に戻ると、彼らが「イケてない」状態に陥っている場合、その多くの場合は「試験のための頭の使い方」で生産活動に従事しているケースが多い、ということである。

 

本来であれば、新規事業創出であれ、現場での改善活動であれ、営業での提案であれ、生産活動に向けて「ここでいう成果とは何か」であったり、「顧客が現在困っていることは何か」であったり、「成果を創出するために何をしなければいけないのか」であったりを考えなければいけない局面において、「問いが正しいものと仮定したうえでの検証作業」により戦おうとしている場合が多い。

具体的なケースとしては、(リーダーや上司から)言われたことの背景やその内容自体への咀嚼、および批判・検証を実施しないことが挙げられる。

 

これは言われたこと自体を否定せよ、というものではなく、自身が担当する作業がどんなに小さなチャンクであれ、仕事等の生産活動のパーツを担うものであり、その作業を実施するうえでは自身として「答えるべき問い」が何なのか、それがなぜ確からしいのか、ということを理解したうえで実施すべきものである、ということである。

それが達成されていない場合、自身が創出するアウトプットに対する確からしさの検証を実施できない状態となってしまい、「これでいい理由は何?」と聞かれた際に沈黙以外の選択肢をとりえないからである(自身もよく経験した)。

 

なお、巷でよく聞く「試験には解があり、ビジネスには解がない」ということに対しては、間違ってはいないとは思うものの、ボトルネックとしては、受動的か能動的かということの方が重要ではあると思っている。なぜならば、ビジネスにおいても「ベストプラクティス」というものは存在しており、それが(自身が向き合っている現状へのフィット感の違いはあるものの)「確からしい答え」として扱いうるものだからである。

ただ、上述した通り、そのベストプラクティスが「今、この状況でとりうるものである」ということは別途証明する必要があるものであり、そういう意味で能動性こそがボトルネックであると考える。

 

対応策

生産活動のための頭の使い方は、受験勉強と同様にテクニックで大分カバーできるものであるため、その使い方や知識の整理の仕方は今後まとめていくこととするが、それ以外の部分では以下のことが対応策としては挙げられる。

 

A.自身が行っている作業が「正しさを前提とした作業(受動的)」か、「正しさが担保されていない作業か(能動的)」を識別する

当たり前、という風に思うかとは思うが、存外区別のついてないケースも多い。なぜならば、実際の生産活動においては意思決定者や他者が存在しており、自身の作業における前提(とされている)事項が多分に存在するからである。具体的には以下のようなケースが挙げられる:

  • 自身がプロジェクトのメンバーであり、方針出しや決定はプロジェクトリーダーが実施する
  • 自身は営業担当として顧客とのコミュニケーションを実施し、最終的な決済は上長が実施する
  • 設計工程で仕様が策定されており、自身はその設計内容を踏まえて開発を実施する立場である
  • 「エース級」と呼ばれる人が先陣を切っており、自身はその横ないしは後ろを伴走する状態である

あくまで経験則ではあるが、このような場合では、自身を「作業者」である、と無意識においてしまい、実施している作業自体の妥当性の検証を往々にしておろそかにしがちである。認識することが打ち手をとることの第一歩であるため、認識すること自体の意義は大きいと思われる。

 

B.インプットを実施する際の目的を明確化する

受動的な頭の使い方の場合、インプットの量と質が効用を大きくすることもあり、インプットに解を求めるケースが一定見受けられる(フィードバックを受けた際、あれもやろう、これもやろう、となってしまうことも同様の事象である)。

ただし、上述の通り、生産活動におけるインプットとは成果創出のための道具であり、その目的に対応しない限りはあまり意味のないものとなってしまう。

そのため、生産活動の質を向上させるためにインプットを志向する場合、その目的を明確にしたうえで実施要否の判断、および実際のインプット活動を実施した方がよい。具体的には以下の観点が例として挙げられる。

  • インプットを実施しなければならない目的は何か
  • (あるものに関する)インプットを実施した結果、何が得られるか
  • そのインプットが今必要な理由は何か

まとめ

  • 頭の使い方には受動的なものと能動的なものの2種類が存在し、それぞれが必要である局面は異なる
  • 仕事等の生産活動においては、能動的な使い方が求められるものの、頭を使う活動としての導入が受動的なものであるため、その方法に終始してしまうと「イケてない」状態となってしまう
  • そのため、まずは能動的な使い方か受動的な使い方のどちらを求められているかを明確にしたうえで、能動的な使い方が求められている場合、インプットにおける目的を明確化したうえで臨むことが望ましい